本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源

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本能はどこまで本能か―ヒトと動物の行動の起源

たまに,『人は言葉でしか考えられない』と言う人がいますが, そんなことはないんですよ

この本のp.261-に興味深い実験が紹介されています

まだ話せない幼児(生後27ヶ月)と話せる幼児(生後33ヶ月,生後39ヶ月)に 二日連続で独特のゲームを行わせた結果,二日目にはすべての幼児は正しい順序でひとりでゲームが出来ました

そして,その半年後ないし1年後に,ゲームに関連した写真を見分けさせる, ゲームの動作を再現させる, といった方法で幼児たちの非言語的な記憶を調べると,どの年齢の幼児も強い非言語記憶を持っていることが確認されました

しかし,言語記憶については,ゲームを経験した時点で話せた幼児(生後33ヶ月,生後39ヶ月)は 具体的な質問に答えることができましたが, 話せなかった幼児(生後27ヶ月)は (半年後, 1年後には話せるようになっていたにも関わらず,) 自分の非言語的記憶を言語に翻訳して説明することはできませんでした

Gabrielle Simcock & Harlene Hayne (2002) Breaking the Barrier? Children Fail to Translate Their Preverbal Memories Into Language. Psychological Science. 13 (3): 225-231.

 

『人は言葉でしか考えられない』わけではありません

言語能力などなくても「正しい順序でひとりでゲームができ」ますし, それを半年後,1年後まで記憶することもできます

しかし,ヒトが言語的に記憶するためには,記憶する時点で言語能力が必要だというだけのことです


この本のメインテーマはタイトル通り,
一般的に「本能」だと思われている行動がどこまで「本能」かということです
「本能」という語自体,専門家の間ではあまり使われなくなっているようですが,
一般的には「生まれつき持っている(学習しなくてもできる)行動」みたいな使われ方をすることが,多いですね

例えば,p.170-175で紹介されているのですが, 「咽が乾いたから水を飲む」という「本能的」に見える「飲水行動」でさえ, 「学習」なしには獲得されないようです

実験的に,離乳後,流動食で育てられて「固形物の脱水効果」を経験しなかったラットは, 食塩水を注射されて脱水状態になっても飲水を増やすことができなかったそうです

 

「高いところを怖がる」というような本能的な行動についても,
p.255-にあるように,ヒトの新生児はハイハイの経験をかなりした後(生後七ヶ月)でないと, 「視覚的断崖(溝にガラスの床を渡した装置)」を避けることがなく, また,「怖がって這っておりるのさえ嫌がった急な斜面」を 歩き始めの幼児は平気で降りようとしたそうです

ヒト新生児の危機回避能力は非常に低く,経験によって学習されるもののようです

安全に「直立二足歩行」するためには「経験」による学習は必要なのでしょう

他にも例えば,鳥のさえずりについても,
その基盤となる『生得的な鋳型』は完璧なものではなく,さえずりに必要な音要素は学習によって取り入れられます

したがって方言の一部は「遺伝的なもの」ではなく,「文化的なもの」であると予想できます

実際,p.185-194では, コウウチョウの方言(サウスダコダ州とインディアナ州南部の違いなど)が 社会的交流を媒介にして何世代にも渡って伝えられる例が紹介されています

コウウチョウは託卵鳥でウタスズメやアメリカムシクイの巣で育ちますが, 巣立ち後,幼鳥と成鳥の入り交じった群れの中で 雄の成鳥との社会的交流を通じてさえずりを学習し,

(実験的にカナリアの雄といっしょにすると,カナリアのさえずりを学習し,カナリアに求愛するようになります)

どういうさえずりが交配を成功させられるのかという 地域的な雌の好みによって「方言」が完成しています

雌は,人工的に隔離飼育された(正常な交尾もできない)雄の異常なさえずりを好む傾向も示していますから,「雌の好み」だけがさえずりを決定しているわけではないのですが, 「方言」については雌の指南が必要なようです

このように,コウウチョウのさえずりを決定している「鋳型」は 雄の遺伝子の中にも雌の遺伝子の中にもなく, 雄と雌の間で社会的に構築されています

 

 

江戸日本の転換点 水田の激増は何をもたらしたか (NHKブックス)

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江戸日本の転換点 水田の激増は何をもたらしたか (NHKブックス)

 

江戸時代の前半は経済成長期(新田開発で耕地面積が拡大し,人口も増加),後半は停滞期(耕地面積,人口ともに微増)というのが全体的な歴史の流れですね 

よく言われる「江戸時代は持続可能な循環社会だった」というのが本当かというのがこの本のテーマです

確かに新田開発によってこれ以上開発できないところまで水田の面積を増やした(だから後半期は停滞した)のが江戸時代だったとすると「本当にエコだったのか?」というの問いは自然に思えます

 

江戸時代の後半になると,耕地面積が増えない中でなんとか収量を増やすために肥料が多投されるようました

金肥を買える百姓と買えない百姓,牛馬を飼えると飼えない百姓との間に格差が拡がることにもなりました

金肥を多く入れたり,牛馬を使って耕したり,その糞を厩肥として投入したりした方が収量は増えるのですが,その負担に耐えられない百姓もいたということです

また,肥料を多投した結果,メイチュウやイネツトムチなどの害虫やイモチ病などの病気が拡がることにもなりました
当時の農書には「病虫害が出た時には肥料を入れれば稲は根をはって立ち直る」と書かれているんですが,これはむしろ逆効果だったようです

害虫駆除方法としては,害虫の誕生でも紹介されていた「虫送り」や注油駆除法がありました
虫送りには実際上の効果はなかったと思われますが,注油駆除法には一定の効果がありました

しかし.注油駆除法に使用する鯨油を購入するコストは百姓たちにとっては負担だったそうです

 

この本の中では,百姓たちの実際の生活を資料を元に紹介しています

例えば,現代の日本ではインディカ米の栽培はほとんど行われていませんが,江戸時代の百姓はインディカ米の一種,「大唐米」(ベトナム原産で宋代に中国に広まった占城米チャンパマイ)を食べていました
大唐米は耕作地として条件が悪いところでも育ち,また,短期間で育つので年貢用の稲の収穫前の時期の藁の供給源としても重要だったようです 

>では、どのような品種の米を食べていたのかといえば、又三郎は、こんな実情を教えてくれる。
> 田に大唐を植れハ、常の米大唐取程取落す物なれ共、秋に早く米に成物故、第一百姓食物の為、第二又百姓秋納につかへさる前に、大唐藁にて家修理・屋根葺為に、御領国の百姓ハ大唐を植る 
> 田んぼに大唐米を植えれば、そのぶんだけ普通の米の収量が落ちる。それでも、第一に秋に早く収穫できるので「百姓食物」となる、第二に秋の収穫で忙しくなる前に、その藁で家を修理し屋根を葺くことができるため、加賀藩の百姓は大唐米を植えるものだ、と。 百姓が食べていた米は、大唐米であった。今では聞きなれない大唐米とは、「唐法師」「唐干」などの名称でよばれた、インディカ型の赤米のことをさす。粒が長いところに特色があり、耕作地として条件の悪いところでも短期間で育つ。そこで新田を拓くとまずこの品種を作付けし、そのあと新田が耕地として安定すると、いわゆる普通の米への転換がはかられたとみられている。赤米は、新田における稲作のパイオニアとしての役割を果たしていたのだ。ただし、おいしくないため、一般的には餅類・漢方薬・菓子類などの材料として利用されていたという。加賀藩でも、表1─2から「大唐早稲」「早大唐」「唐干餅」といった大唐米の銘柄が確認できる。江戸中期の十八世紀を中心にみると、粒の短いジャポニカ型は北海道・東北地方および中部山岳地帯などの寒冷地に多く、それ以西ではジャポニカ型と粒の長いインディカ型が共存して作付けされていた。開発期には、百姓が米を食べるがゆえに、作付けされていたのは白い米ばかりではなかったのである。(第一章 コメを中心とした社会のしくみ.江戸日本の転換点 水田の激増は何をもたらしたか (NHKブックス)

 

江戸時代は年貢米の品種も非常に多様で(加賀平野の例で500品種以上),昨期や形質の違いにより,結果的に冷害や虫害等に対する危険分散になっていたようです
逆に,様々な品種の米が混ざってしまう結果,米の品質にバラツキが大きくなるので,大坂での米の買い取り値が下がってしまうという問題もありました
藩の財務を担当する算用場奉行としては米の品質をチェックする方針が出されたりもしたようです
それでも,今と比較すると品種はバラエティに富んでいて,長い芒(ノギ)があってイノシシの食害を受け難い品種(シシクワズ)や穂よりも葉が高く茂るのでスズメの害を受け難い品種(雀しらす)なんていうのもありました

>在来稲に「シシクワズ」という、強靭で長い芒を持つ品種がある。命名の由来は詳らかではないが、こういう芒のある品種はイノシシの食害を受けにくいという。表1─2によれば、『耕稼春秋』のなかには「雀しらす」という品種がある。これは穂の部分より葉の方が高く茂るため、スズメの被害が少ない。要は鳥獣害を防ぐために、芒の有無など、稲の特徴を判別して作付けしていた可能性が高い。その芒の色は、赤・薄赤・黒・白の四種で、白以外の、色のついたものが多かった。(第一章 コメを中心とした社会のしくみ.江戸日本の転換点 水田の激増は何をもたらしたか (NHKブックス)

 

江戸時代の百姓がどのくらい米を食べていたのかについては様々な見解があるんですが,米の生産量と人口から考えてもまったく食べていなかったわけはありません
もちろん,時期や地域によっては稗などの雑穀を常食していたこともあって,当時の農書には「稗を常食している地域の方が長寿」みたいなことが書いてあります

越中国農書『私家農業談』によれば、次のようなメリットもあるという。
>稗を平日食すれハ、六腑を潤し、長寿を得るといへり、越中五箇山ハ水田なき地ゆへ、多く山畠に稗を作りて、稗粥・稗炒粉を以、常の食物とせり、此ゆへにやよりけん、男女とも百歳の齢に及ふ者多し。
>平素から稗を食べれば、六腑(内臓諸器官)を潤し、長寿を得るという。越中五箇山は水田がないので、多くは山で稗を作り、粥や炒粉(炒って粉にしたもの)を常食にしている。これが理由だからか、男女とも百歳まで生きる者が多い、と。(第二章 ヒトは水田から何を得ていたか.江戸日本の転換点 水田の激増は何をもたらしたか (NHKブックス)

 

 

 

シルトの大きさ

粘土と砂の中間ぐらいのものをシルトと言いますね
でも,具体的にどれくらいの大きさかを説明するのは難しいものです

 

まず,岩石が壊れてできた「砕屑物」を,
地質学ではその粒径にしたがって以下のように分類しています

ウェントウォース粒度区分による分類

礫   (256mm以上(巨礫) 
  256 - 64 mm(大礫)
  64 - 4 mm(中礫)
  4 - 2 mm(細礫))
砂  (2 – 1 mm(極粗粒砂)
  1 - 0.5(1/2)mm(粗粒砂)
  0.5(1/2) - 0.25(1/4)mm(中粒砂)
  0.25(1/4) - 0.125(1/8)mm(細粒砂)
  0.125(1/8) - 0.063(1/16)mm(極細粒砂))
シルト (0.063(1/16) - 0.032(1/32)mm(粗粒シルト)
  0.032(1/32) - 0.016(1/64)mm(中粒シルト)
  0.016(1/64) - 0.008(1/128)mm(細粒シルト)
  0.008(1/128) - 0.004(1/256)mm(極細粒シルト))
粘土 (0.004mm以下)

(礫と砂の粒径2mmとする境は4mmに設定されることもあります)

砕屑物 - Wikipedia

 

上記のwikiにもあるように,土壌学では同じ物を「国際土壌学会法」にしたがって,
以下のように分類することが多いですね

礫  (2mm以上)
粗砂  (2 – 0.2mm)
細砂 (0.2 – 0.02mm)
シルト (0.02 – 0.002mm)
粘土  (0.002mm未満)

しかし,日本では1926年(大正15年)に定められた「農学会法」による粒度区分を 
使う人もまだいて,それにしたがうと,以下のように分類されます 

(2mm以上)
粗砂 (2 - 0.25mm)
細砂  (0.25 – 0.05mm)
シルト (0.05 – 0.01mm)
粘土  (0.01mm未満)

『土と微生物と肥料のはたらき (農学基礎セミナー) 』山根 一郎 (著) .農山漁村文化協会 (1988/06)) 


土質工学の分野では,

日本工業規格にしたがえば,

礫分   (2.0mm以上)
砂分   (2.0 - 0.25 mm(粗砂)
      (0.25 – 0.05 mm(細砂))
シルト分 (0.05 – 0.005 mm)
粘土分 (0.005 mm以下)(0.001mm以下コロイド分)

地盤工学会基準にしたがえば,

石  (>300 mm(ボルダー)
     (300 – 75 mm(コブル))
礫   (75 – 19 mm(粗礫))
     (19 – 4.75 mm(中礫))
     (4.75 – 2 mm(細礫))
砂   (2 – 0.85 mm(粗砂))
     (0.85 – 0.25 mm(中砂))
     (0.25 – 0.075 mm(細砂))
シルト (0.075 – 0.005 mm)
粘土  (0.005> mm)

と分類されます (『土質工学をかじる—建設技術者の常識としての土質力学』平井利一著.(理工図書刊,2001/10/15))

 

さらに,建築学では以下のように分類するようです

れき分  (75 - 2 mm)
砂分  (2 - 0.074mm)
シルト分 (0.074 – 0.005mm)
粘土分  (0.005mm以下)

>建築用語小辞典

 

まとめると

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要するに,同じ「シルト」と言っても,
「0.063(1/16) -  0.004(1/256)mm」だったり,
「0.02 - 0.002mm」だったり,
「0.05 - 0.01mm」だったり,
「0.05 - 0.005 mm」だったり,
「0.075 - 0.005 mm」だったり,
「0.074 - 0.005mm」だったりで,
その粒径の範囲は分ける人によって様々だということです
分野の違う人と話す時は注意が必要ですね

そもそも「砂とシルト」や「シルトと粘土」の違いは連続的なものなので,
便宜的な基準で分けるしかないのですから

Tadpoles: The Biology of Anuran Larvae

 

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Tadpoles: The Biology of Anuran Larvae. Roy W. McDiarmid (著), Ronald Altig (著)

 

「カエルの幼生(オタマジャクシ)の生物学」の教科書です

 約20年前,協力隊員としてボルネオ島で生態調査することになった時に購入しました

 白黒ですがきれいな図版がたくさんあって非常に分かり易い良い本です

 

 特に第7章の「Endotrophの発生と進化」が興味深く, 胎生,卵耐性,直接発生,留巣性などのEndotrophはいくつもの系統で独立に進化していることを示しています

 endotroph種の卵のサイズは(通常のオタマジャクシ幼生のいる)Exotroph種よりも大きい傾向はありますね (それでも25%程度はオーバーラップしていますが……)基本的には「子どもにとって餌が得にくい環境」への適応なのでしょう

 

 この本では,Exotroph種からEndotroph種への進化は "potential evolutionary and genetic mechanism" によって繰り返し起こったと述べていますね

  確かに,Geocrinia属のように,直接発生する(卵からオタマジャクシではなく仔ガエルが生まれる)種(G. roseaなど)と 通常のオタマジャクシ幼生がある種(G. victorianaなど)を含む属もあるぐらいで, Endotroph種/Exotroph種の違いは系統関係は反映していないことが多いようです

 

 ボルネオ産の種だと留巣性の種として,ヌマガエル科のRough Guardian Frog(Limnonectes finchi)が林床の落ち葉の裏に産みつけられた卵を雄が守り,生まれたオタマジャクシを雄が背負って水場まで運ぶ習性があります

 直接発生する種としてはアオガエル科のPhilautus属(Bush frogの仲間)がいます

 この仲間は海抜1000m以上の山地に棲息する種が多いのですが,私たちのタビン野生生物保護区(低地混交フタバガキ林,最高峰でも海抜570m)の調査でも,Bush frogの仲間(Philautus sp.)は確認されました(Shinokawa, T.,et al. (2002) J. Wildlife and Parks. 20: 95-101.)

 

 ちなみに,アオガエル科には泡巣を作る種が多いのですが,Endotroph種への進化と違って,こちらは系統関係を反映していて泡巣形成は進化の過程で一度だけ起こったイベントのようですね(Grosjean. S,et al. (2008) 

 

害虫の誕生―虫からみた日本史 (ちくま新書)

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害虫の誕生―虫からみた日本史 (ちくま新書)

この本を読むと,
明治期の日本人が蚊や蝿を徹底的に排除すべき
『害虫』とは考えていなかったことが分かります
ラフカディオ・ハーンは,L・ O・ハワードの「蚊」を読んで,衛生害虫である「蚊」を知りながらも,
「蚊の根絶」に否定的で,日本人の「前世の行いで蚊に生まれ変わる」という信仰に共感しています(p.96-98)

また,ハエに関しても19世紀以前のほとんどの人々にとって「小さくてかわいらしい虫」でした
1865年にアメリカで出版された絵本では
「翅をブンブンいわせて歌う」ハエと赤ちゃんが楽しく遊ぶ様子が描かれています(p.117)

こうした見方を一変させたのは,細菌学の勃興と熱帯の戦場での感染症の蔓延ですね
具体的には,キューバとフィリピンの支配をめぐるアメリカースペイン間の戦争(1898〜)や第1次世界大戦で
特に,第1次大戦は病死者数が戦死者数を上回った最初の戦争だと言われています(p.117-118)
 

明治以降、日本の警察官は農地を見回り、苗がきちんと正条に植えられている等を監視するようになりました
「サーベル農法」と批判されることも多いのですが,
近代農法を定着させ収量を増大させたという意味では一定の効果はあったのだと思います

ある時期(明治末)まで警察学校には「昆虫学」の授業があり、
昆虫学者が昆虫学の基礎や害虫駆除について講義していたそうです
(警察の仕事として適当ではないという批判はありますが)
害虫駆除について一定の基礎知識を持った警察官が
農業害虫駆除の指導をしていた時代があったということです(p.84-85)

 

「色のふしぎ」と不思議な社会 ――2020年代の「色覚」原論

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  「色のふしぎ」と不思議な社会 ――2020年代の「色覚」原論.川端裕人 (著)

 

動物園にできること」「「研究室」に行ってみた。」等で
ノンフィクション作家として定評のある著者の川端裕人
綿密な調査と専門家への取材によってまとめた力作で,
2020年に日本で出版されたノンフィクションとしては一番良い本だと思われます

「新しい色覚観」という全体を流れは明確ですが,
その内容は非常に専門的で多岐にわたります

以下が各章の内容ですが,私自身の感想や関連書籍等もからめて書いているので,
この本の正確な要約ではありません 

[準備の章]

ヒトの「色覚センサー」錐体細胞には,S,M,Lの3種類があり,
それぞれ吸収する光の波長(吸光特性)が異なります
錐体の吸光特性を決定しているのはオプシンと呼ばれるタンパク質です
M錐体,L錐体のオプシン遺伝子はX染色体上の非常に近い位置にあるので,
不等交叉が起き易く,
1.M’やL’のような(MやLに似ているが違う)融合遺伝子ができたり,
2.M,Lのどちらか片一方しかない状態になったり
します
このような状態の遺伝子を持つヒトは生まれつき標準的ではない「色覚」を持つので,
「先天色覚異常」と呼ばれます

「先天色覚異常」の内,
1.M’やL’のような融合遺伝子ができて,,
  SM’L,SML’,SM’L’,SM’M’,SL’Lのような,
  標準的ではない構成になっているものを異常3色覚(いわゆる『赤緑色弱』),
2.M,Lのどちらかを欠いているものを2色覚(いわゆる『赤緑色盲』),
と分類しています
M,Lの遺伝子がX染色体上(性染色体)にあるため,男性の方が発現しやすく,
いわゆる「赤緑色盲」は男性では5%程度ですが,女性では0.2%程度です
以上がこの本で主に扱っている「先天色覚異常」の概略です

先天的な1色覚(いわゆる『全色盲』)という色覚異常もあるのですが,
頻度としては10万人に1人程度しかいない稀な症例です
「色のない島へ」の中では.『全色盲』は3万から4万人に1人とありましたが,
 実際の頻度はもっと低いようです)

 

[第1章,第2章]

M,L錐体の異常を発見するために開発された「石原表」と呼ばれる検査が
日本では2002年まで学校検診で必須項目として行われていました
(S錐体のオプシン遺伝子は常染色体上にあるため安定していて
 『異常』の頻度が低いため,そもそも検出対象ではなく,
 石原表では検出できません)

 

1980年代後半から多くの大学・学部で,
色覚異常者の入学許可要件は緩和ないし撤廃されました
(大熊(1966)調査と高柳らによる1985年から10年間の調査の比較や
 1986年の国立大学協会から各国立大学長に対する大学入学試験への要望書
 『色覚障害者の進学機会を確保する観点から、受験制限の廃止又は大幅な緩和』
私自身も1980年代末に大学受験を経験したのですが,
色覚による制限があった記憶はありません
就労に関してもごく一部の職種以外では制限は取り払われ,
2003年以降は学校での色覚検査は事実上廃止されました

 

以上を持って「色覚に関する諸々の問題は解消した」と
素朴に感じていたと,著者は告白しています

しかし,その認識は間違っていました
色覚検査を受けていない世代が就職時に起こった問題を拾い上げる形で,
日本眼科医会が行政に働きかけ,
2014年には学校での色覚検査が(必須項目ではありませんが)
復活することになったからです

かつて,学校色覚検査は色覚異常者への差別を維持する動力として働きました
これが復活することで,そのメカニズムが再始動するのではないか
と著者は懸念します
20世紀の学校色覚検査は野蛮で配慮がなかったし,
社会全体に色覚異常者に対する不当な差別や偏見があったからです

 

1950年代の「保健」の教科書には,色盲色弱
「信号の区別がつかないので,交通事故をおこす」
「不向きな職業がある(具体的に列挙される)」
「良い子孫を残すために結婚はよく考えろ」
等々の記述が実際にあって
教師もそれに基づいて生徒指導を行っていました

 

特に,最後の例の背景には「優生思想」がありますね

この本には特に書いてない(あえて書いてない?)んですが,
戦前には「宮中某重大事件」がありました
これは皇太子(後の昭和天皇)の婚約者だった良子女王(後の香淳皇后)が
色覚異常の遺伝子を持っていることが分かり,
将来の天皇色覚異常になる恐れがあるという理由で,
元老・山縣有朋らが久邇宮家に婚約辞退を迫った事件です

結果的には,お二人はめでたくご成婚されたのですが,
先代の皇太子(後の大正天皇)の婚約者だった禎子女王は
「肺病の疑いがある」という理由で婚約取り消しになり,
何人もの皇太子妃候補の中から「体が丈夫な」九条節子(後の貞明皇后
とご成婚された経緯を考えると,
良子女王とのご婚約も破談になっていた可能性がありました

>すでに皇太子妃に内定していたはずの禎子女王に肺病の疑いがあると侍医の橋本綱常や池田謙斎らが言い出し、最近になって侍医局長の岡玄卿が、女王が肺病なのはあきらかだから結婚はやめたほうがいいとの意見を具申した。

久邇宮女王は「如何にも御体裁不宜」、一条家の娘は「御生質宜からず」、徳川の娘は「見ばえ無之」。俗な言葉で言いかえれば、ブス、イジワル、チビというわけだ。
> 
どの娘も帯に短し、たすきに長しなのである。そして、このようにいわば消去法で議論していった結果、九条家の娘節子だけが皇太子妃として適格ということになった。とは言うものの、宮中首脳たちの節子への評価は決して積極的なものではなかった。「体質は丈夫にて悪心は無之」と、健康状態も性質も問題はないとされたが、「最早致方なく、先づ以て七分通り節子と申す事に相成居候」と土方が続けたのを聞くと、かなり消極的な理由による決定がおこなわれたとせざるをえない。 土方の話を聞いた佐佐木は釈然としない気持ちを隠さなかった。
> 
土方は「やはり禎子女王がよかった」と詮ない愚痴をこぼしたうえで、こんな身もふたもないセリフを吐く(『かざしの桜』同日条)。 「節子には体質の丈夫と申す一点にて落札に相成」 落札という言い方もすごいが、体が丈夫なだけが取り柄のあんな娘を皇太子妃にするなんて、と前宮内大臣が言わんばかりなのだから可哀想なのは節子である。(大正天皇婚約解消事件 (角川ソフィア文庫)

 

話が少し脱線しましたが,
著者によると,日本で優生思想が本格化したのはむしろ戦後だということです
(松原洋子(2000)日本―戦後の優生保護法という名の断種法.優生学と人間社会 (講談社現代新書)
優生保護法(1948−1996)においては,
医師が公益上必要と認める時,本人や配偶者の同意なく,
都道府県知事の判断で,不妊手術の適否をきめることができました
その対象となるリストの中には「全色盲」も含まれていました
(実際に「全色盲」の人が強制不妊手術を受けたかどうかは
 今後の調査待ちだということです)

 

とにかく,20世紀の「先天色覚異常」に対する差別や偏見は,
当事者やその家族にとっては恐怖でしかありませんでした
自分の色覚異常を知らずに社会に出てから困る人がいたとしても,
遺伝的な欠陥という「負のラベリング」につながる
学校色覚検査を簡単に復活させることには抵抗を感じる人が多いでしょう

 

[第3章 色覚の進化と遺伝]

脊椎動物の色覚の進化と遺伝について概観しますが,本題に入る前に確認です 
分岐学ではヒト等を含む陸上脊椎動物(四肢動物)は
硬骨魚類の1グループと見做します
実際,Joseph S. Nelson著の"Fishes of the World"
という世界的に権威のある魚類系統分類学の教科書では
ヒト等を含む陸上脊椎動物(四肢動物)も
条鰭綱の姉妹群である肉鰭綱の仲間ということになってますね
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要するに,私たちヒトも「魚の一種」なわけで,
四肢動物を含まない「魚類」は側系統群になります
同様の理由で,鳥類を含まない「爬虫類」も側系統なのですが,
ここでは「魚類」「爬虫類」「原猿類」等の側系統群も説明に使っています

 

視細胞のオプシンのうち,明暗を感じる桿体オプシンは,
全ての脊椎動物が共通で持っていますが,
色覚に関わる錐体オプシンに関しては違いがあります

まず,魚類は4種類の錐体オプシン(赤型,緑型,青型,紫外線型)と
それぞれのサブタイプを持つ多様な色覚を発達させています
両生類は3色型(赤型,青型,紫外線型),
爬虫類・鳥類は4色型(赤型,緑型,青型,紫外線型)ですが,
哺乳類は基本的に2色型(赤型,紫外線型)です
これは哺乳類の祖先が夜行性の小動物であったため,
進化の過程で必要のない色覚を失ったためだと考えられています

ところが,ヒトを含む霊長類の一部では,
赤型(L型)からサブタイプとしてM型を作り出し,
紫外線型を長波長型に寄せて青型(S型)のように使う
3色型(L,M,S)の色覚を進化させました

この擬似的な3色型の起源については諸説あるようですが,
コクレルシファカやアカエリマキレムール等のいわゆる「原猿類」の個体にも見られ,
新世界ザル(広鼻猿類)では種内で3色型と2色型が混在する多様性を示しますが,
狭鼻猿類(オナガザル上科とヒト上科)では「恒常的な3色型」のようですね( 平松 千尋(2010)霊長類における色覚の適応的意義を探る.霊長類研究.26:85-98.

>ヒトや類人猿などを含む旧世界霊長類の色覚は3種類の視物質を使って色を見るため「3色型色覚」と呼ばれている。ところが南米や中米に生息する新世界ザル(マーモセット,タマリン,リスザルなど)は,一部の雌だけが3色型色覚で,雄と残りの雌は2色型だ。つまり,全く違う色覚をもつ個体が同じ群れの中に共存しているのだ。(サルが見た色の世界 色覚の進化をたどる.日経サイエンス 2009年 07月号
動物は色が見えるか―色覚の進化論的比較動物学. ジェラルド・H. ジェイコブス (著): 晃洋書房 (1994/06)

 

霊長類が進化してきた新生代初期の森林の中には,
木漏れ日が瞬く複雑な光環境があり 
その中で3色型の色覚を進化させたというのが有力な説の一つです
葉の緑の中から熟した果実の赤を識別するのに3色型が有利だったというわけです
モロンら(2000)は霊長類の生息地で,葉や果実の反射光を測定し,
その波長特性から2色型と3色型の見え方の違いを分析しました 
その結果,赤ー緑の情報を使うと,
葉の中から成熟した果実を識別できることが明らかになったのです

 

狭鼻猿類の中での3色型は「恒常的」で例外は多くありません 
2色型の頻度はオナガザル上科のカニクイザルで0.4%,
ヒト上科のチンパンジーで0.2%,テナガザルでは0%だったという調査結果があります 
[テナガザル視物質遺伝子の多様性に関する研究]2009 年度 研究成果報告書 )

また,この本では触れられていませんが,植物の進化の面から見ると,
ユーラシア大陸ヤマボウシ類は「恒常的な3色型で赤緑の識別に長けた」
狭鼻猿類を種子散布に利用するために,
サルがつかみ易い集合果を進化させたのに対して,
(狭鼻猿類のいない)アメリカ大陸のハナミズキ類は
鳥が啄み易い単果のままなのではないかという説もあるそうですね(Eyde R. H. 1985. The case for monkey-mediated evolution in big-bracted dogwoods. ArnoMia 45: 2-9.

ヤマボウシの進化にサルが介在?

> 米国スミソニアン研究所の故リチャード・H・アイド(R. H. Eyde)は彼の論文の中で表題のような興味深い、いささか奇抜と思えるような意見を提示している。(p.138, 植物の世界.41 ミズキ アオキ ヒルギ.週刊朝日百科.1995.01.29,朝日新聞社

 

とにかく,「森の中で果実を探すのに有利である」という理由で,
狭鼻猿類の中では3色型色覚が保持されていると考えられているわけです

ところがヒトは(狭鼻猿類でありながら)例外的にはっきりした色覚多型があります

まず,一定数の2色型(いわゆる赤緑色盲)が存在しますし,
LーM融合オプシンを持つ異常3色型の個体も40%近くいます

もちろん,その多くは石原表などの眼科の色覚検査では検出できないもの
(軽微な変異3色型色覚)なのですが,
要するに(軽微なものを含めれば)ヒトの約4割は色覚異常である
という驚くべき事実が分かってきたということです

元々,M,Lオプシン遺伝子は不等交叉による変異が起こり易くはあるのですが,
もし2色型や変異3色型が非常に不利であるのなら,
自然選択によってその変異は除去されていくでしょう

ヒトの中で一定数の色覚多型が存在しているということは,
変異型にもなんらかの利点があるからではないかと推測されますね

 

種内で2色型と3色型が混在する広鼻猿類(オマキザル)の群れの中で,
摂食行動を観察した結果,
果実食においては3色型の方が単位時間当たりの採食量が多いのですが
(但し,これは若齢個体のみで,経験知のある老齢個体では有為差はなくなります,Melin, A.D., et al. 2017),
昆虫を探し出すには2色型の方が有利だという結果が出ています(Melin, A.D., et al. 2007Melin, A.D., et al. 2010

実は,霊長類の「疑似3色型色覚」においては,
「赤ー緑の色覚」は物の輪郭を識別する神経を転用しているので,
輪郭を見る機能の一部を犠牲にしていると考えられています

その結果,2色型の方が物の輪郭を識別する能力が高く,
広鼻猿類(フサオマキザル)や
(2色型変異個体の)狭鼻猿類(カニクイザルとチンパンジー)を使った実験でも,
2色型の方が色カモフラージュを見破る能力が高いことが示されていますSaito, A., et al. 2005

そして,ヒトにおいても同様に,
2色型は3色型よりもカモフラージュを見破る能力が高いのです(Morgan, A.J., et al. 1992Saito, A., et al. 2006

要するに,赤い果実のような顕色の餌の探索には3色型が有利ですが,
隠蔽擬態を進化させた昆虫のような餌の探索には2色型が有利で,
両者は利点と欠点のバランスの中で進化してきたのだろうということです

 

ヒトは3色型のメリットが大きい森林を離れて,
平原で狩猟採集生活をするようになった狭鼻猿類です

この進化の過程では,獲物である昆虫や小動物にも,天敵である肉食獣にも
カモフラージュされているものが多かったと考えられます

ヒトは,集団生活の様々な局面の中で,
3色型と2色型が相互に利益を得ながら,
集団内の色覚多様性を維持してきたのではないか,
というのがここで紹介されている川村正二教授の仮説です
(河村 正二 (2009)  錐体オプシン遺伝子と色覚の進化多様性:魚類と霊長類に注目して.比較生理生化学. 26: 110-116 .)
はじめて色覚にであう本,2017

 

以上は進化生物学から見たヒト集団の色覚多様性の見方なのですが,
2017年には日本遺伝学会からも「先天色覚異常」について
「『異常』ではなく『多様性』と捉えるべきである」
というアナウンスが出されました
遺伝単―遺伝学用語集 対訳付き (生物の科学 遺伝 別冊No.22) 単行本 – 2017/9/21 日本遺伝学会 (監修, 編集)

遺伝学の見地からも
「日常生活に本質的不便さがない形質について
 『異常』という語を当てることには無理があり,
 その頻度の高さ(男性の5%)からも
 既に集団内に定着した多型であるという方が妥当だ」
ということです
(遺伝学では頻度1%未満のものを変異(mutation),
 1%以上のものは多型(Polymorphism)とする定義が一般的です)

「色覚多様性」の概念を提唱した「日本遺伝学会」の会長,小林武彦教授は
「用語を変えたのではなく,概念を置き換えた」と語っています

 

[第4章 目に入った光が色になるまで]

女性の中には4色覚というべき人がいます
いわゆる「異常3色覚」の男性の母親は,
通常のM,L遺伝子の他にM’やL’遺伝子を持っているのですが,
この遺伝子が発現した場合,通常の3色覚の人よりも細かく
「色弁別」(違いの少ない2つの色光を見分けること)できるようです

 

このようなオプシン遺伝子の多様性は「色弁別」に関わる色覚の多様性です

しかし,色覚とは「色弁別」だけではありません
栗木一郎准教授は
「(『色覚』の中でも)『色弁別』と『色の見え』は別の事象だと考えた方が良い」
と言います
光自体には色はなく,
網膜上にある「吸光特性が異なる」L,M,S錐体細胞への光刺激値が
「色」 を作っています

光刺激値以外の情報は失われてしまうので,
たとえ光に含まれる波長の分布(分光特性)が異なっていたとしても,
錐体細胞への光刺激値の比が同じであれば同じ色に見えますし,
「赤紫色」のような単波長の光としては存在しない「色」も存在するわけです

 

L,M,Sの3錐体の刺激値は網膜上にある神経節で加工されます
赤ー緑チャネルではLーMが,正では赤み,負で緑みとなり,
青ー黄チャネルではSー(L+M)が,正では青み,負で黄色みとなり,
加工された情報が後頭部の初期視覚野に送られます
この情報がそのまま色覚となるなら話は単純だったのですが,
そうではないことが分かってきました

 

「ユニーク色」という概念があります
これは個人の主観的な色の見え方に関わるもので,
例えば,混じりけのない赤,緑,青,黄等と感じられる色で,
それぞれ「ユニーク赤」「ユニーク緑」「ユニーク青」「ユニーク黄」等と言います
網膜上の神経節の各チャネルの反対色応答に対応するのがユニーク色だろう
というのが素直な考えでしょう
ところが,赤ー緑チャネル,青ー黄チャネルの値から想定される
理論上の赤,緑,青,黄と,このユニーク色は,大幅にずれていて,
しかも大変な個体差がありました(Webster, M.A., et al. 2000
自分にとっての「混じりけのない緑」は他人とっては黄緑だったり,
青緑だったりするのです
「この食い違いはただ大きいだけじゃなくて,線形和ですらない」
と栗木准教授は語っています
色覚異常」についてよく「色間違い」が問題になりますが,
いわゆる「正常色覚」とされる人同士も.
実はお互いに「色間違い」をし合っているということなんです

 

2015年にネット上で「『青と黒』にも『白と金色』にも見えるドレス」が
話題になりました
f:id:shinok30:20210324112541j:plainThe dress - Wikipedia

「なぜこのドレスが見る人によって違って見えるのか?」
という問題については
色覚研究の専門家の間でも正解は出ていません

ほとんどの専門家は,
「無意識に行われる照明光の推定に個体差があるからだろう」
と推測しています 
しかし,なぜそのような個体差があるのかについてはよく分かっていないのです

 

これは「色の恒常性」に関わる問題です
物体からに反射光の分光特性は照明光によって変化するので,
照明光が変わっても「物体の正しい色」を認識するためには
照明光による補正をする必要があります
これを 色の恒常性と言います

上のリンク先の例を見れば分かるように,
無彩色に近い色であっても
周囲の赤いと「藍色」に,周囲が青いと「黄色」に,
周囲が緑色だと「赤色」として知覚されます
 
このように,
物体の色が背景の色(地色)の心理補色に近づいて知覚されてしまう現象
のことを色相対比と言います

黒の背景に置いて「緑」の色紙を学習させたアゲハが黄色の背景上では黄緑を
青い背景上では青緑を選ぶことから,
アゲハにも
「物体の色が,背景の色(地色)の心理補色(反対色)に
 近づいて知覚されてしまう現象」
=色相対比(色誘導)があるらしいことが分かります

>ヒトの色覚には色の見え方が物体と背景の反射スペクトルの対比によって決まることを示す色対比や明度対比と呼ばれる現象がある。色対比は回りが赤中央が灰色というドーナツ状のパターンを我々が見たときに中央の灰色がうっすらと緑色に見える現象である。この現象は赤が緑を誘導することから色誘導とも呼ばれる。また背景の色と誘導される色の関係は反対色と呼ばれる。

>アゲハの色覚には色対比が含まれるだろうか?アゲハに黒の背景上に置いた似た色紙の中から緑を選ぶように学習させる。このアゲハに同じ色紙のセットを見せて背景の色を変える。アゲハは黄色の背景上では黄緑を青い背景上では青緑を選ぶ。この結果はアゲハの色覚に色対比と反対色があることを示している(未発表)。 (木下 充代(2006) アゲハが見ている「色」の世界.比較生理生化学. 23: 212-219.)

 

アゲハのような昆虫にもあることから,
この現象は動物の色覚において普遍的で,
生まれつき持っているものだと考えられていましたが,
視覚体験によって獲得されるという研究もあり,
まだまだ分かっていないことが多いようです

>乳幼児期の視覚体験がその後の色彩感覚に決定的な影響を与える
-色彩認識のメカニズム解明に大きく前進-
>ポイント
>色の恒常性を含めて色彩感覚は生まれながらに持っているものと考えられてきたが、乳幼児期の視覚体験によって獲得されることが明らかになった。
>また、視覚体験が受容器官(網膜)ではなく大脳皮質に効果を及ぼしていることも同時に明らかになった。
>今後、この成果によって色彩認識の神経回路の解明が加速的に進んでいくと期待される。
産総研:乳幼児期の視覚体験がその後の色彩感覚に決定的な影響を与える

 

[第5章 多様な、そして、連続したもの]

日本では色覚検査は「石原表」(仮性同色表)でスクリーニングを行い,
異常の疑いがある場合にはアノマロスコープ(緑と赤を混ぜて黄色を作る)で
確定診断することになっています

あくまで,L錐体とM錐体に関わる色覚異常のみに特化した検査ですが,
非常に信頼されていました

しかし,石原表を開発した石原忍の弟子で,
色覚研究の第一人者だった加藤 金吉(1965)は,
今から約50年前 ,
「現在,正常者とされている者の中に軽度の異常者が紛れ込んでいる可能性」
を指摘し,
「そもそも正常と異常は異なったカテゴリーに属するものなのか?」 
と問いかけています
加藤(1965)
「将来,新しい検査法が開発された場合,色覚異常者の頻度も変わるのではないか」
という予想していましたが,現在それが確認されつつあります

新しい検査法,具体的にはアメリカ空軍のCCTとイギリス民間交通局のCADです

 

まず,CCTは各錐体の弁別能力をコントラスト感度として直接測定してスコア化する
コンピュータベースの検査です

空軍パイロット候補に求められる基準値(スコア75以上)は
実際の業務と照らし合わせて決定しています

パイロット候補者を検査した結果,
1.スコアの分布は連続していて正常と異常のギャップはなかったこと
2.当初満点とされたスコア100以上を測定したところ,
  100以上の「スーパーノーマル」に正規分布の山があったこと
が分かってきました

 

次にCADですが,
これは「赤ー緑」「青ー黄」の反対色チャネルごとの閾値を測定するタイプの検査です

基準に関しては,ボーイング社とエアバス社の航空機を実際に飛ばして確認しています
項目によっては(「進入角指示灯の確認」等)
正常者よりも異常3色型の方が成績が良いものもあり,
従来の色覚検査では不適格とされた人の35%に門戸を開くことなりました
(弱い赤緑色覚(CV4)まで問題ないとされています)

この検査でも「スーパーノーマル」(CV0)とされる人の存在が明らかになりました 

また,閾値の分布もほぼ連続しています
(小さなギャップはありますが, 
 このギャップは従来の色覚検査では検出できないものです)

 

ちなみに,石原表で色覚異常と判定された著者は,
アノマロスコープでは正常,
CCTではM錐体が基準値以下でアメリカ空軍パイロットとしては不適格ですが,
海軍船舶業務には問題なし,
CADでは「赤ー緑」閾値は異常3色型の特徴は出ているものの「安全な3色覚」(CV3)
「青ー黄」閾値は「スーパーノーマル」で,
民間航空機のパイロットとしては問題ないという結果でした

 

「色覚は,連続していて,多様で,広い分布がある」というのが,
50年前の加藤(1965)の問いに対する21世紀の回答だと著者は結んでいます

 

[第6章 誰が誰をあぶり出すのかー色覚スクリーニングをめぐって]

先天色覚異常について軽いほど危険という言説があります

例えば,

>先天色覚異常は、確かに軽度であれば、日常で困るようなことは少ないでしょう。
>どんなに軽度であっても、自らが色覚異常であると認識すること。これが何より大切です。そのためには、やはり検査を受けなければいけません。(知られざる色覚異常の真実.市川 一夫 (著).2015)

>自分の色覚異常に納得できない人もいます。患者さんが言う「自分は赤緑もわかるし、今まで色を間違ったことがない」という言葉に惑わされないで下さい。(先天赤緑色覚異常の診療ガイダンス.村木 早苗 (著).2017)

いずれも2010年代の書籍からの引用なのですが,
そもそも軽微なものを含めればヒトの約4割は色覚異常ですし(第3章),
正常と異常の間に断絶はなく,
どちらの中にもなだらかな分布があることが分かっていて(第5章),
さらに正常の中でもお互いに色間違いし合うのは普通のことなのです(第4章)
そんな中「検出すべき色覚異常」とはなんだろうという疑問が湧くのは当然のことです

それでも「学校での色覚検査はあくまでスクリーニング」だから
「取りこぼしがあってはならない」という主張があります

学校検診での色覚検査の徹底によって得られる利益と不利益を定量的に検討してみましょう

 

石原表は,
>検査としての特異度(正常色覚を異常色覚と判定する偽陽性率が低い)と感度(異常色覚を正常色覚と判定する偽陰性率が低い)とがともに高いことが標準的検査法として推奨された最大の根拠である。『色覚検査表石原氏色覚検査表Ⅱ国際版38表』:序文)

まず,検査のおいて,特異度と感度はトレードオフの関係にあって,
どちらも高いということは一般的にありえません
次に,上記の引用文中の特異度と感度の説明は間違っていて,正しくは
特異度は「正常色覚者の中で検査で陰性(偽陰性)になる人の割合」
感度は「異常色覚者の中で検査で陽性になる人の割合」
偽陽性率は「検査陽性になった人の中の偽陽性の人の割合」なので,
例えば,異常色覚者の頻度が低い母集団であれば,特異度が高くても偽陽性率が高くなることはあり得ます(詳しくは「数字に弱いあなたの驚くほど危険な生活―病院や裁判で統計にだまされないために.早川書房 (2003)参照)

そして,ともに高いとされている石原表の感度と特異度の
具体的な数値はどこにも書かれていません
著者は石原表の著作権者の「㈶一新会」に問い合わせていますが,
「調べていません」という回答(著作権者も性能を知らない!)でした
海外では石原表(但し現行版ではなく旧版)で検査した人全員を
アノマロスコープで確定診断して石原表の性能を求めた研究(Birch(1997))があり,
ここでは特異度94.1%,感度98.7%という数字が得られています

 

日本の小学1年生男子50万人が全員「石原表」検査を受けたとしたらどうなるでしょう
男子の色覚異常の頻度が5%だとすると,
色覚異常者は2.5万人,正常者は47.5万人
石原表の感度が98.7%だとすると,
色覚異常者2.5万人のうち,陽性となるのは2.5万人×98.7%≒2.47万人,
陰性となるのは2.5万人ー2.47万人=300人

石原の特異度が94.1%とすると,
色覚正常者 47.5万人のうち,陰性となるのは47.5万人×94.1%≒44.7万人,
陽性となるのは47.5万人ー44.7万人=2.8万人

表にまとめると,

 男子 色覚異常 色覚正常  
石原表陽性 2.47万人 2.8万人 5.27万人 偽陽性率=2.8万/5.27万≒53.1%
石原表陰性 300人 44.7万人 44.73万人 偽陰性率=300/44.73万≒0.67%
2.5万人 47.5万人 50万人  

次に,小学1年生女子50万人も同様の検査を受けたとします 
女子の色覚異常の頻度が0.2%だとすると,
色覚異常者は1000人,正常者は49.9万人

石原表の感度が98.7%だとすると,
色覚異常者1000人のうち,陽性となるのは1000人×98.7%=987人,
陰性となるのは1000人ー987人=13人

石原の特異度が94.1%とすると,
色覚正常者49.9万人のうち,陰性となるのは49.9万人×94.1%≒47万人,
陽性となるのは49.9万人ー47万人=2.9万人

表にまとめると, 

女子 色覚異常 色覚正常  
石原表陽性 987人 2.9万人 3万人 偽陽性率=2.9万/3万≒96.7%
石原表陰性 13人 47万人 47万人 偽陰性率=13/47万≒0.003%
1000人 49.9万人 50万人  

 つまり,小学1年生100万人に色覚検査を実施した場合,
8.27万人(男子5.27万人,女子3万人)の陽性者が出ることになります 
日本の就業眼科医は1.3万人しかおらず,
アノマロスコープで確定診断できる病院は非常に限られています
毎年,8万人以上の児童を確定診断するというのは現実的ではありませんから, 
20世紀の学校検診による色覚検査と同様に,
ほとんどが確定診断を受けることなく,
石原表の結果だけで負のラベリングをされる可能性があります
この場合,偽陽性の5.9万人(男子2.9万人,女子3万人)にとっては
デメリット(しなくても良い自己規制等)だけでメリットはありません

 

偽陽性率は男子でも53.1%,女子に至っては96.7%にもおよびます
これは,女子の色覚異常のように,頻度が0.2%しかないものを
スクリーニングするのがいかに難しいかを物語っています 
(前述の「頻度が低い母集団であれば,特異度が高くても偽陽性率が高くなることはあり得ます」の意味です)

 

実際に江戸川区の小中学生を対象に
石原表による検査を実施した後,
陽性者を確定診断した結果は以下のようになっています
(田中眼科の田中寧院長がCUDO(カラーユニバーサルデザイン機構)友の会で発表)

2015年 男子 石原表陽性者 正常者 異常者 偽陽性
小学生 385人 195人 190人 50%
中学生 118人 85人 33人 72%
2016年 男子        
小学生 219人 90人 129人 41%
中学生 64人 39人 25人 61%
2015年 女子        
小学生 224人 202人 22人 90%
中学生 75人 71人 4人 95%
2016年 女子        
小学生 90人 78人 12人 87%
中学生 36人 35人 1人 97%

※石原表陽性者に対する正常,異常の確定診断はアノマロスコープ ではなく,「学校用よりも枚数の多い石原表」,他の色覚検査表,パネルD15テストを使って総合的に判断しています

男子の偽陽性率が4〜7割であるのに対して,女子は9割以上になっています
これは先ほどのシミュレーションの数値が現実的である傍証といえるでしょう

ちなみに,女子に石原表の偽陽性が多いことは既にたくさん指摘されています(例えば『つくられた障害「色盲」.高柳泰世 (著)』

女子には一定数の4色型が存在し(第4章),
3色型よりも色弁別には優れていますが,3色型とは見え方が異なるので
石原表を誤読する偽陽性になり易いのではないかという仮説があります

しかし,そういうことを考慮しなくても,
女子は男子よりも頻度が圧倒的に低いので,
同じ検査をすれば 偽陽性率が高くなるのは当たり前ですね

 

先ほどのシミュレーションの数値が現実になったとすると,
(きちんと確定診断をした場合)全国で毎年男女会わせて,
約2.57万人の色覚異常者が検出されますが,
そのうちどれだけの人が利益を受け,
どれだけの人が負のラベリングを受けるだけになるのでしょう

 

第2章で述べられているように,1980年代後半以降,
色覚による大学入学制限のほとんどがなくなりました

例えば1966年時点では,医学部の約9割に入学制限がありましたが,
1993年には国立大学医学部の入学制限は0になっています
当然,現在の医師の中には先天色覚異常の当事者が数多くいますが,
社会問題になるような大きなトラブルは起きていません
かつて,色覚について設けられていた制限が実は不必要だったということでしょう

 

ほとんどの子どもにとって学校検診で色覚検査を受けるメリットはありません

パイロットや鉄道運転士のような特定の職業を志望する子どもとっては,
現状ではメリットがありますが,
進路を考える年齢(中学,高校生)以上の希望者に限定するべきでしょう

 

[終章]

ヒトの色覚に対する社会的な理解を深めるには
「色覚観」を組み替える必要があると著者は訴えています

 

そのためには「用語」の問題も大切です
色覚異常」の「異常」だけでなく,「正常色覚」の「正常」も問題です
「正常」というのは「異常がある」ということを前提とした語だからです
著者はたまたま多数派であるだけというフラットな表現として,
「C型(Common)色覚」「多数色覚」を提唱しています
この場合,「先天色覚異常」は「少数色覚」と言い換えられます

確かに,頻度論はフラットな見方ですが,
今後「異常3色覚」が実は多数派の集団が見つかるかもしれないと考えると,
あまり良い表現ではありません
12人に1人が『全色盲』の島(「色のない島へ」)や
新生児の1/4以上が先天性の聾者の島(みんなが手話で話した島)
実在するぐらいですから,
誰も気づいていないだけで「軽微な異常3色覚が多数派の村」もあるかもしれません

 

これに対して,進化生物学者の早川卓志からの回答(提案)は
頻度論を超えた進化のメカニズムに即したものです

「正常」色覚は「祖先型」(分子遺伝学ではWildtype,分子進化学ではAncestral),
「先天色覚異常」は,進化の過程で
LオプシンとMオプシンに派生的に現われたものなので「派生型」(Derived)
というものです

 

この「祖先型(A型)色覚」「派生型(D型)色覚」というのは,
単なる言い換えではない,概念を置き換えた良い表現だと思います

 

自然選択と遺伝的浮動2

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(以下は,進化論と創造論についての第1掲示板での[神って誰さん]への説明を加筆,修正したものなんですが,[神って誰さん]は結局分からず終いでした)

 

次はs(淘汰係数)とu(突然変異遺伝子の固定確率)の関係についてです
実際に,u=[1-exp{-(2Nes)/N}]/[1-exp(-4Nes)]  に
数値を入れて計算してみましょう
N=1000,Ne=960の集団について,
上の式にsの値を入れてuを計算してみました

s u 2s 2sNe/N
0.000001 0.0005009601 0.000002 0.00000192
0.00001 0.0005096565 0.00002 0.0000192
0.0001 0.0006020712 0.0002 0.000192
0.001 0.0019602917 0.002 0.00192
0.002 0.003834408 0.004 0.00384
0.003 0.0057435 0.006 0.00576
0.004 0.0076505858 0.008 0.00768
0.005 0.0095540671 0.01 0.0096
0.006 0.0114538989 0.012 0.01152
0.007 0.0133500865 0.014 0.01344
0.008 0.0152426369 0.016 0.01536
0.009 0.0171315571 0.018 0.01728
0.01 0.019016854 0.02 0.0192
0.011 0.0208985347 0.022 0.02112
0.012 0.0227766059 0.024 0.02304
0.013 0.0246510748 0.026 0.02496
0.014 0.0265219481 0.028 0.02688
0.015 0.0283892328 0.03 0.0288
0.016 0.0302529358 0.032 0.03072
0.017 0.0321130638 0.034 0.03264
0.018 0.0339696239 0.036 0.03456
0.019 0.0358226227 0.038 0.03648
0.02 0.0376720673 0.04 0.0384

計算結果を2sおよび2Ne/Nと比較したのが上の表でグラフ化にするとこうなります

この結果から
1.sの値を小さくしていくと(突然変異が中立になっていくと),
  uは一定の値(0.0005)に近づいていく
2.sの値がある程度以上になると(突然変異が有利になると),
  uは2sNe/Nに近くなることが分かりますね
また,この集団の場合は,Ne/N=0.96なので,
uは2sで近似できることも分かるでしょう
グラフ上にu=2sの直線も示していますが,
右側のプロットはほぼ直線上に乗っていますよね

 

次は,N=1000,Ne=587の集団について,同様の計算をした結果です

s u 2s 2sNe/N
0.000001 0.0005005669 0.000002 0.000001134
0.00001 0.0005056886 0.00002 0.00001134
0.0001 0.0005588097 0.0002 0.0001134
0.001 0.001264229 0.002 0.001134
0.002 0.0022899698 0.004 0.002268
0.003 0.0033999915 0.006 0.003402
0.004 0.0045262477 0.008 0.004536
0.005 0.0056540231 0.01 0.00567
0.006 0.0067809135 0.012 0.006804
0.007 0.0079065783 0.014 0.007938
0.008 0.0090309737 0.016 0.009072
0.009 0.0101540955 0.018 0.010206
0.01 0.0112759446 0.02 0.01134
0.011 0.0123965221 0.022 0.012474
0.012 0.0135158297 0.024 0.013608
0.013 0.0146338687 0.026 0.014742
0.014 0.0157506406 0.028 0.015876
0.015 0.0168661468 0.03 0.01701
0.016 0.0179803886 0.032 0.018144
0.017 0.0190933677 0.034 0.019278
0.018 0.0202050854 0.036 0.020412
0.019 0.0213155431 0.038 0.021546
0.02 0.0224247422 0.04 0.02268



この場合も,結果は先ほどの例と同じですね
1.sの値を小さくしていくと(突然変異が中立になっていくと),
  uは一定の値(0.0005)に近づいていく
2.sの値がある程度以上になると(突然変異が有利になると),
  uは2sNe/Nに近くなる
ただし,この集団の場合,Ne/N=0.587なので
uは2sでは近似できませんが……

 

要するに,突然変異が有利な場合はuはsに比例しますが,
中立の場合はuはsとは無関係になるということです
それでは,突然変異が中立な場合にuが何によって決まるかというと,
それは「集団の大きさ」なんです
実は上の2つの例で,
sの値を小さくしていった時に近づいていく値,0.0005というのは,
1/(2N)=1/(2*1000)=0.0005なんですよね


本当かどうか,実際に集団の大きさ(個体数N)を変えて計算してみましょう
まず,sが非常に小さい場合(s=0.000001)と仮定します
Ne/N=0.96の集団について,Nの値を変えてuを計算してみました

N u 1/(2N)
100 0.0050009553 0.005
200 0.0025009577 0.0025
300 0.0016676253 0.0016666667
400 0.001250959 0.00125
500 0.0010009593 0.001
600 0.0008342929 0.0008333333
700 0.0007152455 0.0007142857
800 0.0006259599 0.000625
900 0.0005565156 0.0005555556
1000 0.0005009601 0.0005
1100 0.0004555057 0.0004545455
1200 0.000417627 0.0004166667
1300 0.0003855758 0.0003846154
1400 0.0003581034 0.0003571429
1500 0.0003342939 0.0003333333
1600 0.0003134607 0.0003125
1700 0.0002950784 0.0002941176
1800 0.0002787386 0.0002777778
1900 0.0002641188 0.0002631579
2000 0.000250961 0.00025



uの値が1/(2N)とほぼ一致していることが分かりますね


Ne/N=0.587の集団についても同様です

N u 1/(2N)
100 0.0050005841 0.005
200 0.0025005856 0.0025
300 0.0016672528 0.0016666667
400 0.0012505864 0.00125
500 0.0010005865 0.001
600 0.00083392 0.0008333333
700 0.0007148725 0.0007142857
800 0.0006255868 0.000625
900 0.0005561424 0.0005555556
1000 0.0005005869 0.0005
1100 0.0004551324 0.0004545455
1200 0.0004172537 0.0004166667
1300 0.0003852025 0.0003846154
1400 0.00035773 0.0003571429
1500 0.0003339205 0.0003333333
1600 0.0003130872 0.0003125
1700 0.0002947049 0.0002941176
1800 0.000278365 0.0002777778
1900 0.0002637452 0.0002631579
2000 0.0002505873 0.00025



やはり,uの値は1/(2N)とほぼ一致します
つまり,突然変異が中立に近い場合,
その固定確率は集団の大きさにほぼ反比例するということですね
突然変異遺伝子が固定する『確率』は,
集団が小さい方が大きくなるということなんですよ
一方,集団中に出現する突然変異の個数は個体数Nに比例しますから,
集団が大きいほど多くなります
置換率は両者の積なので分母子で打ち消し合って,
集団の大きさとは関係なくなるというのは既に説明しましたよね
>もし,突然変異が中立であるなら
>淘汰係数s(野生型対立遺伝子に対する有利さ)は0だと考えられるので,
>uは(2)式のs→0の極限値となり,
>u =1/2N ─(3)
>これは「新しい遺伝子が個体数Nの集団に出現した時の初期遺伝子頻度」
>p=1/2N とも等しくなります
>ここで(3)を(1)に代入すると,
>k=2Nv・(1/2N)=v ─(4)
>となります
>この式は
>中立な突然変異の遺伝子置換率kは,
>1遺伝子座あたりの突然変異率vと等しくなるということを表しています

 

一方,突然変異が有利な場合は,uは2sNe/Nに近似できそうだ
という計算結果が出ていましたよね
集団の大きさ(個体数)を変化させて確認してみましょう
ここで,s=0.02(2%有利だ)と仮定します
この条件で,Ne/N=0.96の集団について,
(つまり,2sNe/N=0.0384の集団について)ね
Nの値を変えてuを計算してみました

N u
10 0.0702758437
20 0.0480045922
50 0.0384995615
100 0.0376894789
200 0.0376720753
300 0.0376720673
400 0.0376720673
500 0.0376720673
600 0.0376720673
700 0.0376720673
800 0.0376720673
900 0.0376720673
1000 0.0376720673
1100 0.0376720673
1200 0.0376720673
1300 0.0376720673
1400 0.0376720673
1500 0.0376720673
1600 0.0376720673
1700 0.0376720673
1800 0.0376720673
1900 0.0376720673
2000 0.0376720673

グラフを描くまでもなく,
Nが十分に大きければuが2sNe/N=0.0384で近似できるのが分かるでしょう

 

Ne/N=0.587(2sNe/N=0.02348)の集団についても同様です

N u
10 0.0619256392
20 0.0381021694
50 0.0256584096
100 0.0234203581
200 0.023208425
300 0.0232065073
400 0.0232064898
500 0.0232064897
600 0.0232064897
700 0.0232064897
800 0.0232064897
900 0.0232064897
1000 0.0232064897
1100 0.0232064897
1200 0.0232064897
1300 0.0232064897
1400 0.0232064897
1500 0.0232064897
1600 0.0232064897
1700 0.0232064897
1800 0.0232064897
1900 0.0232064897
2000 0.0232064897


この場合も.
Nが十分に大きければ,uは2sNe/N=0.02348で近似できますよね

ここで,k=2Nvu ─(1)の式に,
u=2sNe/Nを代入すると,
k=2Nv・(2sNe/N)  
 =4NesvN/N,
 =4Nesv となるので,
前に説明した通り,有利な突然変異の置換率は,
集団の有効な大きさ,選択に対する有利さ,突然変異率の積で決まるんですよ

 

>>突然変異が中立であるなら淘汰係数s
>>(野生型対立遺伝子に対する有利さ)は0だと考えられるので
[神って誰さん]つまり、k=4Nesvにおいて、突然変異が中立であるなら、
        s
→0の極限値を取る訳で、
        
Nevは当然のことながら有限値な訳だから、
        その場合k→0にしかならない。
        そんな訳は無いね?

もちろん,そんなわけありません

突然変異が中立であるなら
k=4Nesv
ではなく,
k=v
になりますから

そもそもその説明を繰り返しやっていたわけなんですが,
内容をまったく理解してないから,
そんなトンチンカンな解釈が出てくるんですよね

 

 [神って誰さん]ところでその数量を規定する条件は一体何なんだろう?

>>「率」という字の意味が「割合」だったり「確率」だったり
>>「変化の率」だったりで曖昧なので語の定義をうるさく言っても
>>仕方ないのですが,
>>「要するに,数値の意味は「DNA分子全体に対する突然変異の割合」でも
>>「突然変異が起こる確率」でもなく,
>> 「一世代当たりの突然変異の個数」だということです
>>例えば,ヒトゲノムが半数体で約30億塩基対ですから,
>>2倍体で約60億塩基対(6.0×10^9bp)あるDNA分子の中で,
>>0.1~0.5個の突然変異が一世代当たりに起こるという意味です

[神って誰さん]つまり数量を規定する条件、つまり単位は1個体と言う事か。

上の文章は
議論の発端となったMisoさんのカキコの「全ゲノムあたりの突然変異率」
を説明しているんですよ

この値を全ゲノムの塩基数で割れば,1塩基当たりの突然変異率になりますね

 

>>k=2Nv・(1/2N)=v  ─(4)
>>この式は中立な突然変異の遺伝子置換率kは,
>>1遺伝子座あたりの突然変異率vと
>>等しくなるということを表しています

 [神って誰さん]じゃなくて、1遺伝子座あたり、が単位?

 ここではある突然変異の有利さによって置換率がどう変わるか
という説明をしています
突然変異の有利さは遺伝子座によって異なりますから,
「 1遺伝子座あたりの突然変異率」なんですよ

 

>>k=2Nev・2s=4Nesv

[神って誰さん]やっぱり有効集団数か?

その式は「突然変異が有利な場合は,kはNeにも比例する」,
ということを示していますが,
ミケさんの言う通り,神って誰さんは場合分けを全く理解していませんよね

 

[神って誰さん]一体どうすれば、整合性のある解釈が成立するのかしら。

どうすればも何も,
神って誰さんの理解が整合していないだけで既に説明されていることばかりですよ

 

[神って誰さん]単に突然変異率と言った時に規定する単位が無い
        つまり前提条件が欠けてる、と言う事だ。
        そして、それぞれ単位に規定された突然変異率は
        明らかに比率なんだよ。

 

だから比率じゃないんだって,何度言えば分かるんですか?

突然変異率とは「単位時間あたりのたDNAの変化数量」です
単位時間は世代だったり年だったりしますが、
要はその単位時間の間に「全ゲノム」や「1遺伝視座」上で,
突然変異が何個起きたのか?ということです

神って誰さんは、時速(キロメートル毎時(km/h))や
仕事率(ジュール毎秒(J/s))などの単位も、
「明らかに比率」とか考えているのでしょうか?