「フィンチの嘴」「なぜ・どうして種の数は増えるのか: ガラパゴスのダーウィンフィンチ」

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 •フィンチの嘴
 ―ガラパゴスで起きている種の変貌 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

なぜ・どうして種の数は増えるのか:
 ガラパゴスのダーウィンフィンチ(共立出版)
 

 この2冊はセットで同時に読むことをオススメします

1冊目(以下『』)はガラパゴス諸島で20年間,
ダーウィンフィンチの進化を調査したグラント夫妻の
研究を紹介したノンフィクション(1994年)
ピュリッツァー賞を受賞した名著で教科書には載らない研究の息づかいが聞こえます

2冊目(以下『なぜ 』)はそのグラント夫妻が自分たちの研究を
まとめた進化生物学の教科書(2008年)で
豊富な写真やデータ,その後の研究の発展を知ることができます 

 

例えば,1977年の旱魃がダフネ島のダーウィンフィンチに与えた影響について

調査を始めて四年目の一九七六年は、格別雨が多く、植物が繁茂した。(中略)雨量は合計で一三七ミリにも達し、ダーウィンフィンチ類には良い年だった。五年目の一九七七年もいつものように一月の第一週に雨が降り始め、ダフネ島全体が若葉と花に覆われ、フィンチたちが気軽に食べられる青虫が若葉の上をはいまわっていた。(中略)この年の一月は,下旬になっても雨が降らないので、ほとんど花が咲かず、虫が姿を表さなかった。(中略)ダフネ島全域で、葉はしおれ、花はしぼんだ。(中略)乾期になると、いつもフィンチは最も食べやすい種子を探しまわるが、今、ボールの底に残っているピスタチオは,最後の最後の硬い粒ばかりであった。(中略)フィンチたちは大きくて硬いパロサントやサボテンの種子、そしてついには、生存競争の象徴である、刃に守られたようなハマビシの実に挑戦しなければならなくなった。(中略)一九七七年の始めにダフネ島のガラパゴスフィンチは一二〇〇羽いたが,年の終わりには一八〇羽になっていた。八五パーセントの減少である。(中略)ガラパゴスフィンチは,体が大きくくちばしも太い個体でないとハマビシのような硬い種子を食べられないことがわかっていた。(中略)旱ばつの前に測定したくちばしの長さと太さの平均はそれぞれ一〇・六七ミリと九・四二ミリだったのに対し、旱ばつ後のそれは一一・〇七ミリと九・九六ミリであった」(p.125-136,『』)

これは野外で観察された自然選択の実証例なんですが,
なぜ 』の方には,
「口絵15「大ダフネ島に自生する種子の小さい植物」,
「口絵16「ガラパゴスフィンチの採餌」,
「口絵17「大ダフネ島の植生に対する旱ばつの影響」,
「口絵18「オオバナハマビシTribulus cistoides」,
の写真があり,p.59には
「大ダフネ島のガラパゴスフィンチ集団における,嘴の高さの進化的変化」
として,1976親世代とその旱魃後の生き残り個体,1978年子世代の
嘴の高さ(太さ)ごとのヒストグラムが載っています
口絵の写真は『』で説明された事例の理解を助けますし,
ヒストグラムを見れば,旱魃の影響で嘴の高い(太い)個体が多く生き残り,
その子世代の嘴が高くなっていることが一目瞭然に分かります
しかも,これらの野外データは,母集団から一部を取り出したものではなく,
(驚異的なことに)全数なんですね
ある年のある月の島の個体数が一二五〇羽と記してあれば、それは推定数ではない。羊飼いが囲いの中の羊を数えるように、一羽一羽数えた正確な数字なのである。」(p.146,『』)

 

上記のように,この淘汰圧は親世代の85%を死滅させるという凄まじいもので,
(比べるべくもありませんが)種分化と進化の実体4 で紹介した
「栄養状態の改善による第2次大戦後の日本人の体位の向上」
なんかとはわけが違います
(研究対象の鳥が次々に死滅していった当時の絶望感も率直に語られています)
あとになって書いた書いた論文から見ると,進化が起こっているのを目のあたりにして感動を覚えたのではないかと思うかもしれないが,その時は調査している鳥が次々に死んでいくのを見て絶望的になったよ」(p.133,『』)

 

もちろん,嘴の形態の変化に対して,遺伝的な影響が少なければ,
自然選択の実証とは言えません

数年分のフィンチのデータを調べ、両親と子供たちの体の大きさを比較した。その結果,親と子の間には強い相関があり,高い遺伝率が認められた。また、くちばしの形や大きさを比較してみると、これにも高い遺伝率が認められた」(p.119,『』),
なぜ 』のp.58には
大ダフネ島のガラパゴスフィンチに見られる,親子間の嘴の高さの関係性
として,両親の平均を横軸,子を縦軸とした散布図と回帰直線が示されていて,
回帰直線の傾き(0.74)が遺伝率の推定値として挙げられています


「回帰直線の傾き」を「遺伝率の推定値」とするのは少し説明が必要かも知れません

「遺伝率」とは
「集団内の個体の表現型値のばらつきの程度が
 遺伝(遺伝子型値)によってどの程度決まるのかを示す尺度」 です
ある集団において 遺伝要因がもたらす形質の分散を形質全体の分散で割れば
「遺伝率」(広義)を求めることができます
>今、多因子遺伝形質が上記のような正規分布を仮定できるとき、
>かつ、遺伝要因と環境要因とが 相互に独立であるとき、
>その形質の正規分布は、遺伝要因による正規分布と環境要因
>による正規分布との単純な和とできる(正規分布の性質による)
正規分布は平均と分散との2変数によって決められる分布であり、
>遺伝要因の分散と環境要因との分散も推定可能で、これらの
>分散の値を用いて、遺伝率(heritability)を算出する  

遺伝率(heritability) - ryamadaの遺伝学・遺伝統計学メモ

 

さらに「遺伝要因がもたらす」分散(VG)には 相加的効果(Va)と
非相加的効果(優性:Vd,エピスタシス:Vep)があるので,

VP =VG+ VE = Va + Vd + Vep +VE

この相加的遺伝分散(Va)の表現型分散(VP)に対する割合を狭義の遺伝率と呼びます

狭義の遺伝率は, h2 = Va /VP

単に「遺伝率」といった場合は一般的には狭義の遺伝率を指します

 

理論的には上記の通り定義できるのですが,
実際には集団の形質の分散全体のうち,
どの部分が「遺伝要因がもたらすもの」か,
あるいはさらに「相加的効果によるものか」なんて分かりません

そこで様々な推定法が試みられているのですが,
その一つが「親子回帰による遺伝率の推定」です

例えば. 子供と両親の平均値の共分散の1/2を「相加的遺伝分散」に
近似しているとみなし, それぞれの標準偏差の積の1/2で割ったもの,
すなわち「子供と両親の平均値の相関係数」を「遺伝率の推定値」とする方法です
要は,環境効果をランダムだとして,
量的形質の遺伝率を両親の形質と子の形質の回帰直線の傾きから推定するということなんですよ

>親子回帰による遺伝率の推定
> 両親の間に血縁関係がなく、親と子供の間に共通環境の効果がなければ、
>子供の形質値の片親の形質値に対する回帰係数は遺伝率の推定値となる。
> この推定法では、親と子供の間に共通環境の効果があれば遺伝率は過大に
>推定される。
量的形質の遺伝学(佐賀大学農学部応用生物科学科 動物遺伝育種学 講義テキスト)

(実際に嘴の形態を決定している遺伝子については『なぜ 』のp.63-68で
 詳しく説明されているのですが

とにかく,ダーウィンフィンチの嘴の形態の遺伝率は非常に高く維持されていて
これにはサボテンフィンチとの交雑による遺伝子流入が寄与している
ことが示唆されています(p.116『なぜ 』)
交雑については
「各種の個体群はそれぞれ独立した状態を維持するものだ。もちろん交雑もあるにはあるが、めったに起こらない。なにせ雑種は適応度が低いからね、続かないんだ。しかしそのめったにないことが起こることもある」。ひどい旱ばつとか、伝染病とか一〇〇年に一度の洪水などが島を襲い、適応の山の構造をすっかり変えてしまう。すると谷だったところに落ちていたと思った鳥たちが、新しい山の頂上に登ってしまうこともある。(p.323-324,『』)
とあり,『なぜ 』のp.142-145には「適応地形」(適応の山や谷)が
立体的に示されていますね

 

さて,1977年の旱魃の後,ダフネ島はどうなったのか?  

1979年にダフネ島に上陸し、グラント夫妻の調査を引き継いだトレバーは  
本格的な雨期がくれば、何か新しいことがわかるにちがいないと思った。長い旱ばつの間に生じた進化の方向性をひっくり返すような出来事が見られるはずだ。(中略)しかし、彼は旱ばつが続くたびに、『一度でも大雨が降れば、一生ものの発見ができるのになあ』とくやしがった。」(p.167,『) 
結局,トレバーの任期中は大雨は降らずじまいでした 

 

1982年末からは(今世紀最大の)エルニーニョによって大雨が降り続け,
後任のライルが調査することになります
その結果については『のp.170〜を読んで下さい
(さらに30年間のフィンチの嘴の形態変化については
 『なぜ 』のp.61のグラフで示されています) 
トレバーはそうとう悔しい思いをしたでしょうが,
お天気まかせの野外調査ではこういうこともありますよね

 

(以下は,上の本とは全然関係ない個人的な思い出話)
大雨で思い出したのですが〜,
今から約30年前,私は高知大の学生で水田にいるカブトエビの調査をしていました

水田の泥中に産みつけられたカブトエビの卵はそのまま休眠し、
翌年の注水,代掻きによって,水面まで浮かび上がって(日光を浴びて)孵化します

1994年4月12日,高知市では139.5mmの大雨が降ったのですが,
その直前に代掻きした水田ではその年だけカブトエビの発生がなく,
その後に代掻きした水田では例年通りの発生が見られたことから,
大雨による田面水の溢水で卵が流失したせいで発生がなかったのではないか
という仮説を立てて確認する実験を行いました
思えば,これが私が最初に書いた学術論文になりました

www.jstage.jst.go.jp