色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記

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色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記 (ハヤカワ文庫 NF 426)

 本書は二部構成になっていて,第一部が表題の「色のない島へ」の訪問記です


まず,H.Gウェルズの短編小説「盲人国」が引用されています
道に迷った旅人が盲人だけが暮らす村に迷い込みます
始めは村人たちのことを「かわいそうな障害者」だと蔑んでいた旅人ですが,
やがて,立場が逆転します
盲人国では目が見えることが障害だからです
村の娘と恋に落ち,結婚して村に残りたいと願った旅人は長老たちのいう通り,自分の両目を取り除きました
(「盲人国」,タイム・マシン 他九篇 H.G. ウエルズ (著), 橋本 槇矩 (翻訳)(岩波文庫)所収) 

マサチューセッツ州南東部の大西洋岸に浮かぶマーサズ・ヴィンヤード島の
北部の村では新生児の1/4以上が先天性の聾者でした
この村は耳の聞こえる人も聞こえない人もみんなが手話を使いこなす
「聾者の国」でした
みんなが手話で話した島.ノーラ・エレン グロース (著), 佐野 正信 (翻訳))

 

いわゆる「色覚異常」の中でも「赤緑色盲」は非常にありふれていて
(男性の20人に1人),
もはや「異常」とはいえない「数多い色覚多型の一つ」に過ぎません

しかし,色覚を完全に欠く「全色盲」は非常に珍しく,
3万から4万人に1人しか現れない色覚です

著者である脳神経医のオリヴァー・サックスは,
「全色盲」の患者には会ったことがありませんでしたが,
「全色盲」が遺伝性のものであることはもちろん知っていて,
この地球上のどこかに,聾者の国(マーサズ・ヴィンヤード島)のような,
色盲の島があるなら,ぜひ行ってみたいと熱望します

 

ユトランドフィヨルド沖の「フール島」
ミクロネシアの「ピンゲラップ島」
これが現実に存在した「色盲の島」でした
このうち「フール島」にはもう色盲の人はいない(他所に移住した)
と聞き,ピンゲラップ島行きを決めました

 

同行者は二人
1人目はクヌート,ノルウェー在住で自身も全色盲生理学者で,
オスロ大学で色覚の研究をしています
2人目は著者の同僚の眼科医ボブ,彼も赤緑色盲は数多く診てきた
(自分の息子も赤緑色盲だった)が,全色盲の人は見たことがありません)

3人はハワイで集合し,ハワイから
ジョンストン島(1950〜60年代はアメリカの核実験場,現在は神経ガスの貯蔵庫),
マーシャル諸島のマジェロ環礁,
クワジェリン環礁(アメリカのミサイル発射実験場),
ポーンペイ島(平たい環礁ではなく,火山島)と島を巡り,
ピンゲラップ島に向かいました

 

飛行機が半世紀前に日本軍によって敷かれた滑走路に降り立つと,
何人もの褐色の子供たちが周りの森から走り出て,
花やバナナの葉を振り回しながら,3人を取り囲みました
子供たちが眩しそうに目を細めたり,黒い布を使ったりするのを見て,
クヌートは子供たちが自分と同じ全色盲であることを悟ります

色盲者は錐体視細胞を欠いているため,色覚がないだけでなく,
視力そのものが通常の1/10程度しかなく,
明るい日光の下では眩しさで視力を失ってしまうのです

このように,一行の中に全色盲者(マスクン)のクヌートがいることが,
この本を面白くしています
クヌートの全色盲の立場からの解説によって,
マスクンの世界が鮮やかに浮かび上がってきます

 

通常,3万から4万人に1人しか現れない全色盲がピンゲラップ島では12人に1人
その原因は1775年頃にピンゲラップ島を襲ったレンキエキ台風にあります
この台風で島民の90%が犠牲となり,
タロイモ畑,ココヤシ,パンノキ,バナナが全滅したことによる飢餓も重なり,
1000人近くあった人口が20数人にまで減ってしまいました
この生き残りの中に,全色盲の遺伝子を持つ人がいたことが,
現在のピンゲラップ人の中の全色盲者に繋がっているとされています

 

ピンゲラップ島人は現在では2,700人
(ピンゲラップ島に700人,隣のポーンペイ島に2,000人)まで回復していますが,
レンキエキ台風による人口減少の効果は今も残っています
集団遺伝学では集団のサイズが小さいほど,
遺伝的浮動(偶然の作用)の影響が大きくなると言われていて,
極端な人口減少を経験した集団の有効集団サイズ(Ne)は小さくなります
i世代目の人口をNi
とすると,
  1/Ne=1/t(1/N1+1/N2+……1/Nt

「分子進化遺伝学(根井 正利 (著).培風館 (1990/02)
※1世代目からt世代目までの,各世代のNを全て逆数にして(1/N1、1/N2……1/Nt),
 それを足してtで割ったものが1/Neの逆数になります

 

この本の記述通り,1000人いたピンゲラップ人1775年頃に25人まで減少し,
その後,9世代(約200年)で2,700人まで増加したとします
各世代ごとの有効集団サイズ(Ne)を計算してみました

t  Nt Ne
1 1000 1000
2 25 49
3 40 45
4 100 53
5 366 64
6 1368 76
7 2470 88
8 2685 100
9 2699 112
10 2700

123

 



以上のように,急激な人口減少によってNeが減少すると,
その後,人口が増加してもNeはなかなか回復しません
(人口は2,700になっても,有効集団サイズ(Ne)は123しかにしかなりません)
結果的に元の集団とは異なる均一性の高い(遺伝的多様性の低い)集団ができます
これをボトルネック効果といいます


※上の計算では1世代目はN=Ne=1000でスタートしていますが,
 実際のヒトの集団では,元々NeはNよりもずっと小さいのが普通です

※人口の増加をS字曲線(ロジスティックモデル)で想定していますが,
 実際にはポーンペイ島のマンド地区への移住によって,
 段階的な人口増加があったと思われます
 また,分集団への移住がNeに与える影響も考慮していません

※実際のピンゲラップ人の生き残りでは近親交配が起こったと伝えられていますが,
 近親交配がNeに与える影響も考慮していません

上記の考慮できていない効果によって,実際のNeはもっと小さいと予想されます

 

ピンゲラップ島のマスクン達は強い光には弱いのですが,
わずかな明るさの違いにはとても敏感に反応できます
彼らの多くは自分たちの能力を生かして夜釣りの漁師をしています

暗くなるにつれ、クヌートや島の全色盲の人々は動き易くなるようだった。(中略) 彼らの多くは夜釣りの漁師として働いている。そして夜釣りにかけては全色盲の人たちは極めて優れていて、水の中の魚の動きや、魚が跳ねるときにひれに反射するわずかな月の光まで、たぶん誰よりもよく見えているようだった。 (中略)八時頃、月が昇った。満月に近く、その明るさで星の光が見えなくなってしまうほどだった。何十匹ものトビウオが海面からいっせいに飛び上がり、また音をたてて海に飛び込む。夜の太平洋は夜光虫でいっぱいだ。夜光虫は蛍のように生物発光を行う原生動物である。海中の燐光は水がかき回されたときに最も見えやすいのだが、それに最初気づいたのはクヌートだった。トビウオが水から飛び出すと、あとに光の線が続いて輝く航跡が見え、飛び込むときにもまた水が輝く。(p.88-90,色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記

男性が夜釣りの漁師をするのに対して,
繊細な感覚を生かして,ヤシの葉の繊維を使った伝統的なマットを織る仕事をする
女性も紹介されています
とにかく,12人に1人がマスクンの社会ではそれはありふれた存在であり,
それぞれが自分の能力を生かして働いています

 

もちろん,良いことばかりではありません
この本に登場する通訳のジェイムズや牧師のエンティスのような教養人は
例外的な存在で,ほとんどのマスクンは文盲です
学校で先生が黒板に書く文字が読めないからです

マスクンがありふれた社会であるにも関わらず,
現地の医療関係者には色盲に関する医学的な知識がありません
医療の絶対数が足りていない状況で
感染症等の緊急性の高い医療で手一杯で,
色盲のような先天的で進行しない遺伝病に割ける時間的な余裕がないからです

また,マスクンに対する偏見もあります
我が子がマスクンである母親が正しい知識を持たないまま
自分を責めるケースもあります

ここでもクヌートは自分の知識と経験を伝えます

五歳と一歳六ヶ月の二人の娘を連れた母親だった。彼女は娘たちが完全な盲目になってしまうのではないかと恐れていた。そして、その責任は自分にあるのではないか、自分が妊娠中に気づかないままにした何かのせいで娘たちはこうなってしまったのではないか、と悩んでいたのだった。クヌートは彼女に遺伝の仕組をていねいに教えた。娘たちが失明することはないし、彼女は妻、母親として何一つ間違ったことはしていないのだ、と。(中略)正しい眼鏡をつけて正しく目を保護することにより、そして何より正しい知識があれば、娘たちは他の子どもとまったく同じ生活を送れるのだ,とも説明した(p.104,色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記

 

しかし,それでも,マスクンが特別視されずに当たり前の生活を営んでいて,外の世界のような孤立の苦しみを味わっていない,この島は「全色盲の島」だとクヌートは述べています

ピンゲラップの住民は全色盲かそうでないかを問わず誰もがマスクンのことを知っていて、マスクンが生活していく上で耐えなければならないのは色が分からないことだけでなく、眩しい光であり、細かいものが見えないことだとも知っている。ピンゲラップの赤ん坊が激しくまたたきしたり光から目を背けたりしたときには、周りの人には医学的なことは分からなくても、少なくともその赤ん坊がなぜそうするかについての知識がある。そして赤ん坊が必要とするものやその子の持つ能力についての知識もあり、その症状を説明する神話までが用意されているのだ。そうした意味で、ピンゲラップ島は全色盲の島である。この島で生まれたマスクンの人は、自分が完全に社会から孤立していたり無理解にあっていると感じることはないだろう。ところが、島の外の世界では、先天的な全色盲の人はみなそうした苦しみを味わっているのだ。(p.134,色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記

 

著者のオリヴァーは,全色盲者がこのような孤独に陥る必要があるのだろうか?
と問いかけ,全色盲者が知識,経験,感性を共有できるコミュニティは作れないのかと考えます

そして,文通相手のフランシスが全色盲者のネットワークを設立したことを知り,
このインターネット上のコミュニティが新しい「全色盲の島」に違いない,
と第一部を結んでいます

(フランシスはこの本が書かれた10年後,2006年に亡くなっています)www.achromatopsia.info

 

 

 第二部は「ソテツの島へ」

訪問先はグアム島とロタ島

グアム島でリティコ-ボディングと呼ばれる奇病を研究するジョンから
オリヴァーの元に電話がかかってきます

 

リティコ-ボディングには2つの側面があり,
ある時にはリティコ,筋萎縮性側索硬化症に似た進行性の神経麻痺, 
ある時にはボディング,パーキンソン病に似た症状で痴呆を伴うこともあります
その原因はグアムのチャモロ人が常食する
ソテツの毒素が体内に蓄積するからだという説がありました

 

脳炎後遺症の患者を多数診察した神経内科医である,オリヴァーの目で
リティコ-ボディングの患者を診て意見を聞かせて欲しいという依頼です
診察室に3種類のソテツの鉢植えを置くオリヴァーはソテツ説にも心挽かれます
電話口のジョンは畳み掛けます
「何の仕事をするにしても,二人で島をぐるっと回ってソテツと患者の両方を見ようじゃないか。君は神経学に造詣に深いソテツ学者だと名乗ってもいいし,ソテツ学に造詣の深い神経学者だと名乗ってもいいよ。どちらにしてもグアムは最高だよ。」(p.142,色のない島へ: 脳神経科医のミクロネシア探訪記

 

オリヴァーはグアム島に降り立ち,原始的なナンヨウソテツの林を眺めながら,
ジョンが住むウマタックの町に向かいます

リティコ-ボディングのことをチャモロ人は
「チェットナット・フマタック」(ウマタックの病気)と言うことがあります
ウマタックがこの病気のホットスポットだからです
ジョンは「すべての謎を解く鍵はここに埋もれているのだ」と熱く語ります

 

グアムのチャモロ人の成人の約1割がこの病気で死亡している一方,
1952年以降に生まれた若い世代は誰1人この病気に罹っていません
ジョンは「1940〜50年代にかけてこの病気の原因は消滅した」と推察しています

古くからファダン(ソテツのデンプン)は広く食用にされていましたが,
特に日本占領中は他の作物は接収されたりしたため,さらに重要な作物になりました
戦後,小麦粉やトウモロコシ粉が輸入されるようになって,
ファダンの消費は激減しました
このファダンの消費量とリティコ-ボディングの発症の相関は,
ソテツ原因説を示唆しているように思われます

しかし,ソテツは世界中で食用とされているのに,
グアム島のような慢性的な病気は知られていません
また,ソテツの摂取とこの病気の発症との間に何十年ものタイムラグがあることも,
毒素による神経疾患の常識とは乖離しています

 

第二の説は「遺伝病」説です
グアムのチャモロ人には(ピンゲラップ人と同様に)人口が激減した歴史があります
ただし,その原因は自然災害ではなく,スペイン人の宣教師です
宣教師は強制的に洗礼を行い,反抗者が出た村は罰として虐殺しました
宣教師が持ち込んだ伝染病(天然痘,はしか,肺結核ハンセン病
に対する免疫も彼らは持っていませんでした
強制的なキリスト教化に絶望して自殺する者や我が子を殺す者が相次ぎ,
その結果,40年間で島の人口の99%が消滅し,
1710年にはチャモロ人の男性は一人もいなくなり,
1000人ほどの女性と子どもだけが残されました

1900年には発病率の高い「遺伝的な神経疾患」の最初の報告が,
当時の宗主国であるアメリカ合衆国によってなされています

遺伝病だとすると,発生原因が消滅したように見える事実が説明できません
しかし,ジョンは発症者の家系図を分析した結果から,
リティコとボディングは家系ごとに異なるパターン病状をとることを確かめ,
この病気に何らかの遺伝的疾病素因があることを確信しています

 

第三の説は「鉱物(ミネラル)」説です
西ニューギニアと日本の紀伊半島
リティコ-ボディングに似た風土病が発見されました
これらの地域でソテツは食用とされていませんでしたが,
飲料水中のカルシウム,マグネシウムの濃度が低く,
アルミニウムの濃度が高いことが見出され,
リティコ-ボディングの原因がミネラルの欠乏や過剰摂取にある
という説が注目されます
ところがその後,ウマタックの水源の泉の
カルシウム,マグネシウム,アルミニウムの濃度は適正値だという結果が出ました

 

第四の説は「スローウィルス」説です
ニューギニア高地人に多発した神経難病クールーの原因(プリオン)を
究明してノーベル賞を受賞したガイデュシェックが提唱している説ですが,
現時点では病原体は明らかになっていません

 

ジョンは研究室の顕微鏡で神経細胞のスライド標本をオリヴァーに見せました
「リティコ-ボディング,脳炎後遺症,進行性核上麻痺は
 病理組織学的には同じものだ」
というジョンの主張どおり,オリヴァーにはこれらの区別はできません

 

交通事故で亡くなった200人のチャモロ人を解剖した結果,
1940年以前に生まれた人の70%には神経系に病理的な変化が見られましたが,
1952年以降に生まれた人にはまったく見られなくなっていました
これらの結果は,
リティコ-ボディングはある時期までチャモロ人にはありふれたものでしたが,
臨床的に明らかな神経症状を示す人はその一部に限られること,
(原因は不明ですが)その発症リスクは近年では低くなっていること
を示唆していますね

 

ジョンとオリヴァーがアガニャの日本料理店で食事中,突如停電します
ジョンは停電の原因が変電所に入り込んだ「木登り蛇Boiga irregularis」だと伝え,
グアム島の鳥類を絶滅させたのもこの蛇の仕業だと言います
ジョンの言う通り,グアム島では鳥の鳴き声はまったく聞こえません
第二次大戦末期に海軍の船で運ばれた蛇によってグアムの生態系は激変していたのです

 

ロタ島は,グアム島よりも小さく,近代化が遅れていたおかげで,
(16世紀のグアム島のような)手つかずの自然が残っています
オリヴァーは子どもの頃から憧れた原始の森を見たいと思い,ロタ島に向かいます
ここでオリヴァーは,女呪い師ベアータと,その息子で通訳のトミーとともに,
ソテツの森に入り,植物についての伝統的な知識を聞きながら,
原始の森に思いを馳せます,
ここでのオリヴァーは神経学者ではなく,完全にソテツ学者ですね