日本軍ゲリラ 台湾高砂義勇隊  台湾原住民の太平洋戦争

日本軍ゲリラ 台湾高砂義勇隊  台湾原住民の太平洋戦争. 菊池 一隆 (著)

台湾の原住民が日本軍の南方戦線の中でゲリラ部隊として活躍した話を書いています

 

この本の中に
>モロタイ島ではパイワン族の言語と現地人の使う言葉が六割も通じたのである(p.147)
という記述があります
 
いくら台湾島オーストロネシア語族の故郷とは言え,台湾原住民のパイワン語がニューギニアに近いマルク諸島のモロタイ島で6割も通じるなんてあるのだろうか?と疑問に思って調べてみました

 

ところが,まず,モロタイ島で使われていた「現地人の使う言葉」が分かりません
元々,モロタイ島は無人島で住民は他の島から移住してきたらしいからです

>モロタイ島はオランダ統治時代以前は無人島であって,現在の住民はそれ以降の,主としてアンボン島,サンギル島,タラウド島,ハルマヘラ鳥からの移民である。しかしハルマヘラ鳥からの移民は非常に少ない。(崎山 理 (1969)マライ・ポリネシア語族におけるブリ語(ハルマヘラ島 )の系統.東南アジア研究,7(3): 274-292)

 

とりあえず,ネット上にあった「アンボン島の島民が話しているアンボン語の単語集」(Bahasa dan Dialek Asia: Bahasa Ambon Allang)と菊澤(2017)で示されているパイワン語とマナム語(パプアニューギニア)の基本語彙とで比較してみました

基本語彙 パイワン語 (台湾) アンボン語   マナム語(パプアニューギニア
matusa matanu mata
kalevlevan lanita lang
道   djaLan lalanu jaLa
Lima lima debu
2 Dusa lua Rua
3 tjeLu tilu toiL

事前に予想していたよりも似ています
身振り手振りを合わせれば6割以上通じるかも知れません
 

この本には,「第1回高砂義勇隊(『高砂挺身報国隊』)は1941年12月編成,1942年3月15日に編成式,23日に高雄港から出港し,フィリピンのルソン島に上陸,バターン半島総攻撃に参加後,コレヒドール要塞を攻撃した」とあります(p.43)
 
2019年,私は台湾のタイヤル族の村,烏来(ウーライ)にある高砂義勇隊慰霊碑を訊ねました 

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上の碑文を見ると,「殉職日期 1941.04.30」とあります
第1回高砂義勇隊が編成される1941年12月よりも前に殉職しているんです

この碑文が間違っているのでしょうか?
それとも知られている「第1回」よりも前に「高砂義勇隊」があったのでしょうか?

 

おまけ

烏来(ウーライ)の酋長文化歌舞劇場前で踊り子たちと記念撮影しました

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